吉川晃司さんは1965年8月18日、広島県安芸郡府中町で生まれました。広島でバンド活動に明け暮れていた高校時代、彼の目標は大手芸能事務所と契約し、音楽の世界でスターになることでした。そのため、地元広島から自分を売り込む手段として、第三者を装い、自分自身の売り込みの手紙を芸能事務所に送り続けるという地道な努力を重ねました。
吉川さんの頭脳プレーが功を奏し、渡辺プロダクションからスカウトが広島へ来ることになり、オーディションを受ける機会を得ました。結果、見事にオーディションに合格。当時、彼は水球の実績で慶應義塾大学への特待生入学も可能な立場でしたが、芸能界デビューのチャンスを前に、学生生活を続ける選択肢はなく、両親の反対を押し切って高校を中退し、東京に上京しました。
吉川晃司さんは19歳の冬、1984年2月にシングル「モニカ」と映画『スカンピンウォーク』の主演で芸能界デビューを果たします。当時の芸能界の流行に沿い、本人の望むアーティスト売りではなくアイドル売りをされましたが、「モニカ」はオリコン週間ランキングで22位に輝き、大ヒットとなりました。
デビュー早々に人気アイドルとして躍り出た吉川さんは、1985年1月にリリースされたシングル「チャンス」でオリコン週間ランキング1位を獲得。その後もヒット曲を出し続け、芸能界で大成功を収めました。
アイドルとして成功を収めた吉川さんでしたが、広島でバンド活動をしていた頃からの尖った行動は変わらず、1985年の紅白歌合戦でシャンパンを客席に吹きかけ、ギターを燃やすなど大暴れ。この騒動でNHKを激怒させ、以降しばらくの間、NHKの番組に出演することができませんでした。
吉川晃司さんといえば、かつて女優の天海祐希さんとの交際で話題になりました。2003年に交際が発覚し、天海さんが主演した舞台『阿修羅城の瞳』を吉川さんが観劇したことがきっかけで交際が始まりました。一時期は天海さんが吉川さんに逆プロポーズしたとの噂まで飛び出し、結婚が秒読みかと思われました。
しかし、共通の知人の冠婚葬祭に対して天海さんが不義理を働いたことをきっかけに不仲となり、3年で破局に至りました。この破局により、天海さんから共演NGを出されることとなりました。
吉川さんが天海さんから共演NGを出されていることが発覚したのは、2016年に公開された映画『さらば あぶない刑事』においてでした。吉川さんが映画のラスボス役を演じることを知り、天海さんが出演を辞退。破局の際に感情的なしこりが残ったための行動でした。
その後、吉川さんは2011年に一般女性Aさんと結婚しました。Aさんは富山県出身の医療関係者であり、吉川さんとの結婚前に離婚歴がありました。
吉川さんとAさんは2008年頃から交際を始め、2011年には2歳になる長女が生まれていました。
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