志村けん、彼は日本のお笑い界の巨匠として、長年にわたり幅広い年齢層から愛され続けてきました。『ザ・ドリフターズ』の一員として、そしてバカ殿様や変なおじさんなどのキャラクターで、多くの笑いを届けてきました。しかし、そんな彼にも逮捕の過去や、予期せぬ形で訪れた死という悲劇がありました。今回は志村けんの逮捕事件、新型コロナウイルスによる死、そして彼の残した遺産について掘り下げていきます。
1981年2月14日、志村けんと『ザ・ドリフターズ』のメンバーである仲本工事が「競馬法違反」で逮捕されました。当時の報道では、この逮捕は「飲み行為」に関するものでした。飲み行為とは、許可を受けた機関ではない個人がギャンブルの胴元となり、馬券や車券を取引する行為のことです。これにより、世間では『ザ・ドリフターズ』に対する批判が巻き起こり、「解散すべきだ」「番組を打ち切れ」といった声が噴出しました。
事件が発覚した後、ドリフのリーダーであるいかりや長介は即座に謝罪会見を開き、志村と仲本の二人を1ヶ月間謹慎処分にすることを発表。会見の際、長介は「子供たちに夢を売る仕事なのに…」と詫び、志村の頭を何度も叩きました。謝罪会見すらもコントの一部として笑いに変えたその姿勢は、まさにドリフならではでした。しかし、世間の風当たりは厳しく、結果的に志村は不起訴処分となったものの、仲本工事ともう一人の関係者には罰金刑が科されました。
2020年、志村けんは突然の病に襲われました。同年3月17日、彼は倦怠感を感じ、自宅で静養を始めました。しかし、19日になると発熱や呼吸困難の症状が現れ、翌日には都内の病院に緊急搬送されました。
重度の肺炎と診断された志村は、数日後に新型コロナウイルスへの感染が確認され、人工心肺装置を用いた治療が行われましたが、29日深夜に息を引き取りました。
志村けんの死は、芸能界のみならず日本全国に大きな衝撃を与えました。感染源を特定しようとする動きが広がり、一部では大阪・北新地のクラブのホステスや、志村の誕生日会で感染したとの噂が飛び交いました。しかし、噂の中心にいた人物である藤崎まりこは、Instagramでこれを否定。「私は志村さんに会ったこともなく、感染させたという事実は全くありません」として、デマに対する胸の内を語りました。
このような影響力のある人物が亡くなると、その感染経路や詳細が取り沙汰されることは避けられませんが、当時は新型コロナウイルスが猛威を振るっており、特定の感染源を突き止めることは難しい状況でした。
志村けんが亡くなった後、彼の遺産に関する話題が持ち上がりました。一部報道では、彼の総資産は10億円から50億円、あるいは100億円にも上ると言われていましたが、実際のところその額は10億円前後が有力とされています。
まず、彼の遺産の中で最も注目されたのが、東京都三鷹市にある自宅です。この豪邸は、バブル期に4億円で購入したものでしたが、2022年時点では6300万円程度の価値しかないとされています。不動産は経年劣化によって建物の価値が減少するため、土地の評価だけが残っているのです。
さらに、志村は熱海と麻布十番にもマンションを所有していましたが、それらの合計価値も1億5000万円程度と見積もられています。その他、現金や預金についての情報は明らかにされていませんが、知人によると志村は「毎週100万円以上飲み代に使っていた」とも言われており、貯金がほとんどなかった可能性も指摘されています。
また、志村けんは個人事務所を所有しており、その株式も遺産の一部となっています。この事務所の管理は、志村の長兄である智之が担当しているとのことです。